【地球の守り手を救えずに地球を救えるのか】昨日になってしまいました!8月28日は「ひろまるシネマ」で、ドキュメンタリー映画『デリカド』を上映しました。
舞台は、フィリピン・パラワン島のエルニド。世界中から観光客が訪れる、美しい海と森に恵まれた地域です。
しかし、その美しい風景の陰では違法伐採が横行し、森を守ろうとする人たちが脅迫され、時には命まで奪われていました。
映画に登場するのは、違法伐採を監視する市民たちです。
現場リーダーのタタは、かつて政府側の準軍事組織に所属し、森林を破壊する側にいた過去を背負いながら、今度は森を守るために活動しています。
環境弁護士のボビー・チャンを支えているものの一つは、信仰でした。
「神が創ったものを守る」
自然を単なる「資源」としてではなく、人間が守る責任を負うものとして捉える言葉が印象に残りました。
そして、森を守っていた仲間の一人、キャップ・ルーベンは、違法伐採を調査する中で殺害されます。当時のフィリピンは、世界でも環境活動家にとって最も危険な国の一つとされていました。
仲間を失ったタタが映画の中で語る、
「本来は政府の仕事だ。なぜ我々が背負わされるのか」
という問いが胸に残ります。
市民参加やNPOとの協働は大切です。しかし、本来行政が担うべき違法行為の監視や法の執行、そして活動する人たちの安全まで、市民の使命感や自己犠牲に委ねてよいはずはありません。
映画には、環境保全を進める当時のエルニド町長、ニエベス・ロセントも登場します。
州知事との政治的対立、大統領と州知事との近い関係、殺害予告などの脅迫。そしてロセント町長自身が、ドゥテルテ政権の「麻薬リスト」に名前を載せられていきます。ドゥテルテ前大統領は現在国際刑事裁判所に訴追されていますが、いわゆる「麻薬戦争」の裏側で起こっていたこと、それを十分に知らなかった自分に、恐怖と罪悪感と怒りが混じったなんとも重い感情があります。
自然環境を守ることと、民主主義や人権、政治のあり方は切り離せない―そんなことも突きつけられる映画でした。
【映画の「その後」はどうなったのか】
上映後、映画の「その後」も調べてみました。
ロセントさんは2019年の町長選挙では敗れましたが、その後は州議会議員として活動。ドゥテルテ大統領も退任しています。一方、映画でロセント町長と対立したパラワン州知事の娘が、現在の州知事を務めています。
ネットで調べてみると、現在のエルニドでは、国や州などの公的機関による環境監視や法執行が進められ、違法建築への対応、水質監視、森林法違反への告発、違法伐採への取締りなども行われているようです。
映画の中で市民たちが「本来は政府の仕事だ」と訴えていたことを、行政が担う方向へ動いていることは重要な変化だと思います。
一方で、映画で描かれた政治と経済、開発をめぐる力の構造そのものは、どこまで変わったのでしょうか。
環境保全の仕組みが整えられ、取締りが強化されても、その背景にある政治の構造が変わっていないとすれば、果たして問題が解決したと言えるのか―。
その「その後」も気になりました。
【私たちが使う家具の木材は、どこの森から?】
そして映画を観ながら、もう一つ気になったことがありました。
私たちが日本で使っている手頃な価格の家具。その木材はいったい、どこの森から来ているのだろう?
上映後、身近な例としてIKEAとニトリを調べてみました。
IKEAは家具用木材についてFSC認証材または再生材を基本とし、木材の調達国や割合まで公開しています。
一方、ニトリも2024年に木材調達方針を定め、違法伐採や森林破壊の排除、原産地までのトレーサビリティ、保護価値の高い森林、さらに先住民族の人権や地域住民の慣習的権利への配慮を明記しています。
ネット上の公開情報を調べただけなので、どちらかを単純に良い・悪いと評価するつもりはありません。
ただ、消費者から見える木材産地の情報公開という点では、現時点ではIKEAの方が一歩進んでいるように見えました。
ここは、ちょっと日本の行政のあり方とも通じる気がします。
美しい理念は語られている。
けれど、具体が見えづらい。
そして、その情報が市民や消費者に十分共有されているだろうか。
もちろん、「安い家具=森林破壊」と決めつけるつもりはありません。
だからこそ、私たちが手にする商品が、世界のどこの森から来ているのか。そこで自然と人権が守られているのか。
消費する私たちにも、知ろうとする責任があるのだと思います。
【「土地を守る」とは、何を守ることなのか】
そして、これは遠いフィリピンだけの話ではありません。
北海道でも、森林、水資源、土地利用、観光開発、そして2030年までに陸と海の30%以上を健全な生態系として保全する「30by30」など、自然をどう次世代につなぐのかが問われています。
昨今、「北海道の土地を守る」という言葉を耳にする機会が増えました。外国資本や外国人による土地取得への懸念とともに語られることも少なくありません。
もちろん、土地の所有や利用の実態を把握し、適切な土地利用のルールをつくることは重要です。
でも、『デリカド』を観ながら、改めて考えました。
「土地を守る」とは、所有者が誰なのかを確認することだけなのでしょうか。
その土地の森が健全に保たれているか。
水が守られているか。
生態系が守られているか。
そこで暮らしてきた人々の権利や文化が尊重されているか。
そして、その自然を守ろうとしている人たちを、社会や行政がきちんと支えているか。
土地は、所有権だけで成り立っているものではありません。
土地を守るとは、その土地にある自然と暮らし、文化、そして未来まで守ることではないか。
所有者の国籍だけに目を向ければ、国内の資本による乱開発や森林破壊であっても、経済のためなら「問題ではない」ということになりかねません。
大切なのは、「誰が持っているか」だけではなく、「その土地がどう使われ、どう守られ、次の世代へどう引き継がれるのか」を問うことだと思います。
そして、もう一つ。
誰がその自然を守っているのか。
その人を誰が守るのか。
そして行政は何を引き受けるのか。
『デリカド』を観終えて、最後に残った問いです。
「地球の守り手を救えずに、地球を救えますか。」
フィリピンの政治状況の過酷さにも恐怖や怒りを感じつつ、では、日本の現状はどうなのか、考えさせられました。
小さな上映会ですが、映画を通じて世界の出来事と北海道、そして自分たちの日々の暮らしをつなげて考える時間を、これからもつくっていきたいと思います。
【次回の「ひろまるシネマ」は『アイ・アム・ア・コメディアン』】
次回上映するのは、お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔さんを追ったドキュメンタリー映画『アイ・アム・ア・コメディアン』です。
政治や社会について発言し、時に炎上しながら、「笑い」と「表現」を模索してきた村本さん。
かつて北海道オホーツク総合振興局の「オホーツク観光大使」も務め、北海道ともご縁のある方です。
『デリカド』が「自然を守る人と政治」を問いかける映画だったとすれば、次回は「ものを言うことと社会」「表現することと民主主義」について考える時間になりそうです。
映画を観て、語り合い、それぞれが自分の暮らしや地域に引き寄せて考える。
小さな「ひろまるシネマ」ですが、そんな場をこれからも続けていきたいと思います。














森が泣いている。
静かな葉擦れの音の裏で、木々が倒れ、土が裂ける。
誰かが守ろうとする度に、影が忍び寄る。
それでも、彼らは立ち続ける。
風のように、雨のように。
恐れを超えて、大地に誓う。
この緑は、未来へと続く命なのだと。
スクリーンの向こうの叫びが、僕の胸を締めつける。
見終えた今、自身に問いかける。
「僕らはこの手で何を守れるのだろう?」
――SUGIZO(ミュージシャン)
『資本論』でカール・マルクスはこう述べた。資本主義は「頭から爪先まで、あらゆる毛穴から、血と汚物とをしたたらせながら、この世に生まれてくる」。これは現在進行形の金と資本をめぐる血に塗れたドキュメンタリーである。あまりにも大きな国家と資本の力の前に、何ができるのか。答えはないが、現実から目を背けてはならない。
――斎藤幸平(『人新世の「資本論」』著者)
毎年、森を守る人たちが世界中で消えている。私たちが地球が再生できる量を遥かに超える資源を消費し続ける背景で、その資源を守るために誰かが命を張って戦わないといけないことも、彼らが命を落としていることも、それを私たちが知らないことも、その全てがおかしい。私たちから、変わらなければいけない。それを、心の底から、ずしんと気づかせてくれる映画です。
――濱川明日香(一般社団法人Earth Company代表理事)
希少木材の需要があり、また観光開発で利益をむさぼることができる社会の構図を変えない限り、自然の搾取は止まりません。この映画は自分ごととして観るべき作品だと思います。
――正木 明(気象予報士・防災士)
緊迫感に満ちた『Delikado』。その緊張感は最後まで途切れない。そして描かれる環境保護活動家たちの揺るぎない勇気もまた途切れることはない。圧倒的な作品だ。
――土井香苗(国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表)
「希望と絶望」の両方を、これほどまで強く感じたことはないかもしれない――地球最後の美しき秘境での「善良と腐敗」の壮絶な戦い――日本をはじめ世界中で起きている、この対立の縮図が、この小さな島にある。果たして、善良は腐敗に打ち勝てるのか。
――四角大輔(作家/森の生活者)