国土の25%が国立公園や自然保護区に指定され、豊かな自然と生態系を誇るコスタリカ。その自然に憧れて世界中から人々が集まるエコツーリズムの聖地となっている。しかし、作品中で、エコツーリズムのロッジを営む方の口からこんな言葉が発せられる。「ここで暮らしていくのは簡単なことではない」と。
一時は経済的な豊かさを求めて、国土は乱開発された。動物たちも容赦なく命を奪われ、住む場所を追われていった。しかし、コスタリカの人々は、これでは未来がないことに気づき、開発の代わりに自然を守る道を選択した。そこに暮らす人々にとっても、農業よりも観光業の方が、楽でしかも収入が多いのだ。
道路は舗装されず、高速インターネットもない森で過ごす時間は、私たちに何を与えてくれるのだろう。それこそ豊かな時間なのだろうと思われるが、同時に、雇用がなければ生きていくことはできない。リゾートホテルなどの開発をすれば、地域の雇用は確保され、経済的な支えとなる。
なぜ私たちは本質的な豊かさよりも、目先の経済的な豊かさを優先してしまうのか。
ここで思い出すのは、幸福度世界一だったブータンのこと。自分たちの暮らしに満足し、幸福を感じる人が多かったブータン。
しかし、インターネットの普及で他国の人々の生活を知ることで、幸福度が急落する。自分と他人を比べることで、劣等感を感じるようになったのが原因だと言われている。
つまり、幸福とは相対的な感覚なのだ。豊かさも、もしかしたら同じように相対的なものなのではないか。
欲しいものがすぐ手に入ったり、衛生的な生活をするという点では、森の中よりも都会の方が圧倒的に上だろう。都会の人がおしゃれなファッションに身を包んでいる様子をメディアで見て、自分もあのようなオシャレがしたいのに、ここではそんな服を手に入れることができないと感じてしまえば、自分の生活が豊かであるという実感を持つことはできまい。
また、私たちの社会では、労働の価値も生産物の価値も、すべてお金に置き換えて判断されてしまう。この点でも、都会の人々の方が圧倒的に多くの金銭を手にしていることに疑いを持つ人はいないだろう。
しかし、あえてここで問いたいのは、物質的な充足や貨幣価値だけが、比較の基準なのだろうかということだ。物やお金以外の物差しは本当にないだろうか?
一昔前のクレジットカードのCMにこんなものがあった。「お金では買えない経験、プライスレス」。
何を豊かさと感じるかは人それぞれだが、私個人はプライスレスな毎日の積み重ねを大切にしていきたいと願っている。














確かに、コスタリカの自然保護は素晴らしいし、ここまで持続していることに驚嘆します。
しかし、やはり現地の人々の仕事、観光、企業、などから問題は生じてしまうのだなと、、、
「私は環境保護に反対ではない。それでも開発が必要なんだ。真の意味での持続可能な開発が。」
「反対するなら、ちゃんと代替案を示してほしい。それもいますぐに。」
という声が痛かったです、、、
でもそれが真実。
人間の生活が前提での自然保護という、現実を見せつけられました。
しかし同時に、可能性も感じました。
コスタリカの森は二年間で20倍にまでふくれたそうです。
完璧に自然を保護していくのは難しいかもしれませんが、できることはかなり大きいのだなとオサの人々をみていて思わされました。
少しずつでいいので、地球全体であのようなムーブメントが起きたらいいのに、と願っています。