ローカリゼーションの良さもわかったけど、グローバリゼーションに対して否定の断定のような映し方で違和感は少しあった。
じゃあ今の生活から例えば地方のイ◯ンが撤退したほうがいいのか?
熊本の地震のニュースの中で、「イオンが憩いの場だった」というインタビューがあってもう今の高校生や若い人たちにとっては個人店を潰したショッピングモールは、幼少期からすでにあったものとして存在している時代になっていることを感じた。
ショッピングモールに助けられていることはたしかにある。
ただ、自分がお金を払ったものが「どういった背景で値段設定されていて」「そのお金は何に使われているのか」という
”知ろうとしないと知れない前後の出来事”を知りたい。
それを知ったうえで選択したいから、
この映画では「なぜ、わざわざ遠くから来た外国産のもののほうが地元産のものよりも安いのか」の背景が一つわかった。
白黒はつけられないと思う。
悪いと思っていても安いものを選ばざる負えないときもあるし、ときにジャンキーなものを食べたいという欲求は人間だから無くならない。
でも、そのときにちゃんと「選択できる」ために、背景を知りたい。
映画が制作された16年前からさらに世界の状況は、無形商材(AIなど)が資本(お金)に変換できてしまう変わっている。
まちの豆腐屋さんのおっちゃんがはたして、劣っているのか?
農家は劣っているのか?
完璧な客観なんてないけれど、それぞれのポジショントークのうえで何がしたいかを偏りなく子どもたちには選べるようになってほしい。
正直、経済的余裕は全然ないけれど、例えば豆腐を買うとき、少しでも気持ちに余裕があれば30円高い北海道産の大豆を使用した豆腐を買うようにしている。
映画で言っていたように「きっと回り回って私にもいい影響があるはず」と願っていながら。















