スクリーン上映で得られる感動はやはり大きいと感じました。
今回は特に音楽(ピアニスト)がテーマでしたので、スピーカーを通して流れる演奏シーンの音響は映像と相まり、かなりの臨場感がありました。まるで本当のコンサート会場にいるようでした。観客の中にはテーマが少し難しいと感じた方もいたようですが、それを上回る好評を得ることができました。人間の弱さ、人生の苦痛、悲しみ、それ以上に世界に広がる愛と、優しさの大きさを2人を通して触れることが出来る映画だったと感じました。
特定非営利活動法人 産山守り人の会さん 19/09/25 10:06
壮絶な生死の生活をおくっている人たちの様子を見ることから、仕事の悩みや家庭の悩みなどいろいろなことに惑わされながら生きている私たちにたちにとっては、これらのこととは別に大切なことを考えて行く必要があると感じさせられる映画でした。
キネマ ケノービーさん 19/09/23 12:56
シンプルこそ、目指すべき生活である、という意見が数多く聞かれた。
「その一方で、スマホを常に操作しながら、複雑な情報を求めなければならない自分がいる……情けない」という意見が印象的だった。
Tomoaさん 19/09/22 19:12
ナディア・ムラドは28歳。自分とは歳が一つしか違わない。けれど、日本で安全に暮らしてきた自分には決して理解出来ない、あまりに悲惨な体験をしている。5 年前まではイラク北部、ヤーズィーディー教徒達の暮らすコジョ村の村娘であった彼女は、突如 ISIL に拉致され性奴隷にさせられる。村では多くの人々が虐殺されてしまった。映画はなんとか生還した彼女の、その後の壮絶な戦いを追う。
彼女はかつて暮らしていた村に、家族たちと再び帰るために自らの体験を語り続け、世論を動かそうと奮闘する。それがどれほど辛い想いを反復させる行為だとしても彼女は闘いをやめることが出来ない。
映画の中で彼女は、離れ離れになった家族の安否が知れないと言っていた。それはつまり、世論を動かすのが 1 秒でも遅れれば家族や仲間たちを助け出すまでの時間が伸びてしまうことを意味する。闘いの相手は ISIL でもあるが、同時に自分のような、命と尊厳の危険に瀕していない、世界中の人々の意識だ。それが変わっていかないことには、受賞したノーベル平和賞ですら、彼女にとってはなんの価値も持たないものなってしまうと思う。
彼女の悲しげでいてあまりにも強い姿を見ていると、何も知ろうとしないこと、一切の行動すらも起こさないでいることはむしろ、彼女たちを加害することに加担しているのではないかと、そんな風に思えて落ち着かない。とはいえどうすればいいのか?彼女の一挙一動からまずは何かを感じてみることにした。買い物をしたり、料理を作ったりしている彼女が束の間に見せる穏やかな表情もあれば、またすぐに、自分では推し量る事もできない苦しみに今も尚侵されているかのような無表情になる。あまりにも些細な一歩だが、彼女のあらゆるメッセージを隅々まで受け取ろうと試みる事が彼女の誓いを成就させ、その肩に背負ってしまったものを和らげることに繋がると思う。
---ツォモリリシネマ担当 小栗千隼---
上映会の参加者数は4人と少なかったが、その分、上映会後の話が親密なものになった。「思っていたよりも重い内容だったけれど、難民の問題は自分たちも考えなければいけないこと。でも、自分には何ができるのか、まだわからない」「ISISが生まれた背景には、イラク戦争があり、外部からの干渉があり、彼女たちの身に起きていることは自分と全く関係がないわけではないと感じた」「宗教を理由に起きている問題ではあるけれど、その背後にあるものは経済優先の世界の仕組みのようにも思う」「映画が製作された後、2019年の今はどうなっているのか、調べたいと思った」などの感想が聞かれた。
映画『ナディアの誓い - On Her Shoulders』
浜尾和徳さん 19/09/22 18:52
電車の中ではつい、目の前に座る人がどんな人なのだろうかと想像をめぐらせてしまう。この後にどこへ行くのか?仕事は何をしていて、今何がやりたくて、何が欲しくて、どんな日々を送っているのだろうか?
持ち物や姿勢に表情、靴や着ているものをこそこそと盗み見て、他人の暮らしを妄想してひそかに楽しんでしまう。
この悪趣味にいつからめざめてしまったのだろうかと考えると、それは半年ほど前にあてもなくフィリピン旅行に行った時からのことだと思う。
狭い乗り合いタクシーでスリにびくびくしながら周囲の顔色を窺っていると、ものすごく痩せているのだけれど、目がぎらぎらとしていて流木のようなおばあさんを見つけてしまったあの時。
それからもガラケーとスマフォの二台持ちで食い入るようにフェイスブックを見ているフィリピンOLが何をそんなに気にしているのだろう?と気になったり。
いつの間にか、他人が日々どんな暮らしを送ってなにを感じているのか、ほんの小さな情報から感じとることがなんだか楽しくなってしまった。
映画ビューティフルアイランズは、そんな自分にとって最高の一本だった。
南太平洋のツバル、イタリアのベネチア、アラスカのシシマレフ島。脚本もナレーションも存在しないこのドキュメンタリーはこれらの異国の人々の暮らしや食文化、子供たちの遊びや稼業に至るまで、あますことなくただ切り取り、こそこそと盗み見るようなことをせずとも、自分に理想的なシーンを次々と提供してくれる。
気候変動によって沈みゆく三つの地域にはあまりにも普通で、素晴らしい日常が確かにあった。鑑賞者次第で目の前の画面をどこまでも楽しみ尽くせる、贅沢な106分だった。
上映後、参加者同士で話す時間を設けた。「失われていくものは何か」「宗教の存在感」「温暖化というよりも気候変動という方が適切なのでは」「今現在はどうなっているのか、調べようと思う」など見た直後なので多くは語れないにせよ、それぞれが持ち帰るものが多かったように思えた。
浜尾和徳さん 19/09/22 18:38
今回の上映会は、映画上映後に廃棄される運命にある食材を使用して作ったお料理の試食会もおこなわれました。
一関でも規格外のため出荷できない野菜が多く、実際に食材を提供してくださった農家さんから「最後には捨てなければいけない、その瞬間はいつも非常につらい」という言葉もありました。
また震災の影響で出荷は出来ないが食す分には何の問題もない鹿肉を使った料理も用意され、この地域ならではの問題を考えるきっかけにもなりました。
一BAさん 19/09/22 10:28
震災の後 危機感を持ち 動きはじめた人々へのリスペクトと 愛を持って ジョナサンとマチルダが日本各地を回り まとめた映画は ここ球磨郡でも同じように豊かな自然を守る生活を送る 友人達に大きな感動を届けました。 大切な資源を未来の子供達へ
本当にありがとうございました。
村井紘美さん 19/09/22 08:25
※ 上映者の声投稿数で集計