あなたのスマートフォンの中に紛争鉱物と環境破壊が?
私たちが日々使っているスマートフォンなどの小型電子機器には、さまざまな鉱物が使われています。その鉱物の採掘の過程で生じている環境破壊や人権侵害に、私たちはどう向き合うべきなのでしょうか?
参考リンク:
エシカルケータイキャンペーン
http://www.ethical-keitai.net/
About the film
私たちの暮らしになくてはならないものになりつつあるスマートフォンや小型電子機器。 それらをつくるためには20種類以上の鉱物が必要とされています。中には希少金属、通称「レアメタル」と呼ばれる金属も多く含まれています。そうした貴重な鉱物を採掘している現場は、一体どんなところなのでしょうか? 私たちの暮らしをつくっているモノの背景にはどんな採掘行為があるのでしょう?
エクアドル、フィリピン、コンゴ民主共和国の採掘現場を訪れてみると、そこには目を見張るような環境破壊や鉱山利権を巡った紛争や、もともとそこに住んでいた人びとの強制的な追い出し、大規模な環境破壊などが目撃されました。 私たちが日々意識しないスマートフォンの内側に隠された調達の真実に光を当てます。
More info
●コンゴ民主共和国
鉱物採掘が貴重な収入源となっているコンゴ民主共和国・東部地域。ところが、長期化する紛争のなかで、武装勢力が資金源として鉱物に目をつけることに。紛争とのつながりが知られると、企業はコンゴからの鉱物調達を避けるようになったが、はたして現地の人々のためになったのか?
●フィリピン
日本企業から出資を受け、ニッケル採掘が行われているフィリピン・北スリガオ州。そこでは、森の破壊と水の汚染が進み、土地を追われた先住民族が鉱山会社に対して声を上げていた。他方、日本に輸出される銅の採掘が行われるヌエヴァ・ヴィスカヤ州では、住民たちが鉱山廃液による健康被害を訴える。
●エクアドル
世界でも稀な生物多様性を育む神秘の森が広がるエクアドル・インタグ地方。日本政府・企業による資源探査によって銅の埋蔵が確認されたことから、この土地でも鉱山開発計画が浮上。強引に進められる開発を前に、住民たちは村と自然を守る運動に立ち上がる。
Data
原題 |
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製作年 |
2016年 |
製作国 |
日本 |
制作 |
特定非営利活動法人 アジア太平洋資料センター(PARC) |
配給 |
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時間 |
35分 |
Cast & Staff
監督 |
中井信介 |
製作総指揮 |
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プロデューサー |
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原作 |
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脚本 |
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音楽 |
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撮影 |
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編集 |
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キャスト |
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上映会主催者の声
上映会を主催された方の声を紹介します
映画に登場するスマホが今となっては時代を感じる(=ちょっと古いと感じる)ものだったので、たった十数年でこれだけスマホのデザインも変わったのだなぁ…と、まずそこから感慨深くなりました。パソコンが日常生活に欠かせない道具になっていくのも早かったと思いますが、スマホはその遥かに上をいっていることも再確認しました。
スマホにはレアメタルが使われている、だからこそ、現代においては都市鉱山なんて言葉があるように、出荷済みのスマホのリサイクルが進められていることは知っていましたが、さもなくばこんな過酷な現場での採掘が行われているのだとは知りませんでした。ただ残念だったのは、途中からスマホの真実というよりもレアメタルの真実みたいな雰囲気になってしまったので、あくまでも観る人の興味関心を惹きつけるために「スマホの真実」というアプローチを崩さずにいて欲しかったという点でしょうか。
また、ナレーションがあまりにもプロっぽい(アナウンサーっぽい)のが、NHKの報道番組のような硬い雰囲気を醸し出していたようにも感じます。その点が問題なければ、スマホの真実を知るための良作だと思いました。
時間の短い作品でしたが、話題満載でした。
希少鉱物という言葉は聞いたことがあるものの、実際にどのように採掘されているかまではなかなか分からないものですが、その実態を簡潔・克明に伝えるすぐれたドキュメンタリー作品だと思います。
上映後の振り返りにおいても、驚いたという声や、子どもたちにも見せたいといった声が上がっていました。
告知が足りず参加者が少なかったのが残念です。
Rolling20'sシネマ スマホの真実―紛争鉱物と環境破壊とのつながり
海でつながっている世界のどこかで、海に毒を流していて、自分の買った物がその毒の原因になっているのだから、そんなものは無駄に消費してはならないと思う
Rolling20'sシネマ スマホの真実―紛争鉱物と環境破壊とのつながり
紛争鉱物の話は、石炭火力で海外支援している日本の企業のせいでエビが捕れなくなった話などにも共通します。地球で生きる中で、虚構を生きていると感じるときがあります。それは映画「トゥルーコスト」を観たときでした。今回の映画「スマホの真実」でも虚構を生きている経済の仕組みを感じました。